2011年5月24日火曜日

日本におけるグライダーアクロの現状

周知のとおり、現在(2011年5月)日本におけるグライダーアクロ競技者数は一名。つまり私一人です。来年度の世界大会へ向けて訓練中のSさんを入れても2名。なぜこのように寂しい状況にあるのか、私にはわかりません。

グライダーアクロというと地味な印象があるのでしょうか?しかし実際に操縦した感覚は、パワー機のそれと同等です。プラスマイナス両端限界いっぱいに振りきれるGメーター、誰もが驚くロールレート、パワーアクロよりもめまぐるしく変化する姿勢、なにより、グライダーに特有の機体との一体感、空気を両腕に掴み引き剥がす感触、自身が速度エネルギーそのものと化す瞬間の心地良さ・・・いや、こんなことを列挙しても始まらないでしょう。飛行感覚は、飛行者にのみ帰属します。
































しかし、グライダーアクロを始めるために必要な社会的環境について記述することは無駄ではありません。実際に今、その環境は劇的に発展しつつあります。

まず、飛べる機体の存在。グライダーアクロを練習するためには、専用の競技機が必要です。ASK-21やプハッチなど、比較的ポピュラーな練習機でも、基礎的なアクロを行うことはできます。しかし、世界標準である無制限クラスの飛行を行うためには、MDM-1 FoxないしはSwiftといった機体が必要です。

昨年3月、無制限曲技専用機であるMDM-1 Foxが板倉滑空場にてロールアウトしました。購入/所有者は鐘尾みや子さん、日本のアクロ界の草分け的存在の一人であり、私自身の恩人でもあります。
































鐘尾さんは、日本のグライダーアクロを発展させたい、ただそれだけのためにこのFoxを導入されました。我々はこのFoxに乗せていただき、たくさんの訓練を行うことができました。その間、鐘尾さん自身は機体の管理者に徹し、決して自身のフライトを行われることはありませんでした。我々は、鐘尾さんの意志の上で成長する鉱物のような存在でした。

鐘尾さんはまた、グライダーアクロの正式なジャッジでもあります。曲技飛行の練習にとって、地上からのジャッジングがいかに重要か・・・各国のトップ選手が口を揃えて言うことでもありますし、地上のジャッジこそが曲技飛行競技の採点者であるという事実からも、自然と理解できることでしょう。私は板倉滑空場で、鐘尾さんのジャッジングの受け、飛行における改善点を多数見出すことができました。

また、Foxは一人で組み立て、運用することができません。高度な専門知識を持ち、技能を有する人が数名そろって初めて運用することができます。私はこれまで数えきれないほどの日数、板倉滑空場で訓練を行って来ました。その訓練を欠くことなく支えてくれたのが、教官のSさん、整備士のNさんです。解散したRedFoxチームからの縁で、これまでずっとサポートしていただきました。


さらに、曲技飛行を行うためには、それを行う空域や、離陸する滑空場が必要です。ただでさえ危険行為とみなされてしまいがちな曲技飛行、練習場所の確保は往々にして最も困難な課題の一つとなります。鐘尾さんを始め先輩方は、これまで板倉滑空場において曲技飛行を行う基盤を築いてこられました。1200mから3分足らずで降下する曲技飛行ですが、現在では板倉滑空場における運航の一部として認めていただいています。
































機体が存在し、ジャッジが常駐し、サポートしていただける方々にも恵まれ、飛べる場所もある。となると、足りないものは何でしょうか。共に高め合う競技者仲間にほかなりません。共に第一線で飛行し、トップ選手の技量レベルを知り、それの実現へと向けてお互いを評価しあう、そのようなチームが成立してこそ、国内での最良のトレーニングが可能となります。

私はそのようなチームの実現へ向けて、新人教育のためのルート作りを行っています。もちろん日本でも、今後新人教育が行われる予定はあります。しかし飛行回数・密度・技能の観点から見て、世界標準の技術を習得するためには、海外のトップ選手に師事した上での総仕上げを行う必要があるでしょう。今後、世界各国の競技者仲間たちの力を借りて、日本チーム発展の機会をオーガナイズしていきたいと考えています。現に今年、Sさんという方(社長でも医者でも弁護士でもありません。普通の会社員をされている方です)が国内で訓練を始められ、この夏にポーランドへ渡航し、集中訓練を行います。技量が充当できれば、来年は世界選手権へ参戦する予定です。

































未来の競技者へ向けて情報を発信し、曲技飛行競技の門戸を開放すること、これが本ブログの役割です。ここに記述した内容が少しでも、皆様の夢への指標となることを望みます。

2011年5月19日木曜日

富士川飛行場のこと

このブログの趣旨からは外れますが、富士川飛行場のことを少し書きます。

静岡県航空協会富士川飛行場(http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujikawa/fujikawa/main.html

私は大学3年生だった7年前、この飛行場、静岡県航空協会に仲間入りしました。そして、一から飛び方を教わり、指定養成に入所する形でライセンス(グライダー)を取得しました。
































カナダで飛行機のライセンスを取得した後は、曳航パイロットとしても育てていただきました。尾輪式の操縦という特技を活かして協会の活動に貢献できたことは、私にとって大きな喜びでした。毎週日曜日、富士川でパイパー・スーパーカブに乗り、皆と談笑することが、私の生活に心地良いリズムを刻んでいました。































ポーランドで危険な目にあったり、世界大会でいろいろな国を飛び回っていても、帰るべき飛行場があるということに、なんとも言えない安心感を感じていました。































しかし、明日から札幌へ転勤。もう、この日常は終わりました。
先日、記念にと思いたくさんの写真を撮ったり、撮ってもらったりしたので、その一部をここに公開しておきます。
静岡近郊に住んでいる方は、ぜひ一度富士川飛行場を訪れてみてください。きっと、気に入ってもらえると思います。





























































































































他にもたくさんあります。
https://picasaweb.google.com/flickloop/FujikawaAirfield#

アップルバレー空港でのIAC競技会

アップルバレー空港で行われたIACの競技会「Los Angeles Gold Cup Duel in the Desert 」に出場しました。
Attitude AviationのピッツS-2Cを、日本チームの三人でシェアしての出場です。







リバモア空港での事前訓練に向かうTakanoさん









同じくTanikawaさん











New Jerusalemにて、ハワードさんからのクリティークを受ける

競技会へ参加するためには、自由になる機体が必要です。つまり、飛行学校の機体を借りるか、他の人の機体を借りるか、自分で機体を持つか。このいずれもが、日本に居住する我々にとっては、そうやすやすとできることではありません。もちろん近道は、飛行学校の機体を借りることです。しかし残念なことに、私はそもそもFAAのライセンスすらもっていないため、単独飛行すらできません。
今回は、Attitude Aviationの教官である高木さんに、全てをオーガナイズしていただきました。セイフティーパイロットのみならず、機体の手配、調整、競技会事務局との連絡、競技会場での機体のケア、そしてクロスカントリーの計画(帰り道)、ほぼ全てを高木さんに頼りきってしまいました。
そもそも振り返ってみれば、私が3月から試みてきた動力曲技への挑戦は、全て高木さんの指導の元で行ってきました。良い教官の元で、集中して指導を受け、競技会へ挑戦する。この流れこそが、上達への早道であると私は確信しています。








高木さん近影。デラノ空港付近にて。












私は、高木さんとネットで知り合いました。こう書くと胡散臭いですが、事実です。ホームページやSNSでコミュニケーションをとる中で、方向性の類似やマニアックな飛行理論の魅力に惹きつけられ、いつか一緒に飛びたいと願ったものでした。

初めて実際にお会いしたのは、2010年に福島で行われた全日本曲技飛行競技会の時。チーフジャッジとして来日された高木さんに、いつかアメリカへ行くので教えてください、とお願いしたことを覚えています。その半年後、渡米。こんなに早く、それにこんなに高密度/長期の教育を受けることになるとは、その時は思ってもいませんでした。このような生産的な出会いが、他のアクロ志望者にも訪れることを願っています。

高木さんは先日輸送機パイロットの職を辞され、いよいよアクロ(エアショーや啓蒙)に特化した生活にシフトされるとのことです。日本人を対象とした教育活動も重点的に行っていかれるとのことなので、これから競技曲技を志す人にとって非常に恵まれた状況と言えます。訓練を希望される方は連絡下さい。






さて、話が逸れましたが、競技会。なんだか地獄のような砂漠の空港です。













アメリカ在住の日本人パイロット、osuaviator(ハンドルネーム)さんと、愛機のピッツS-1。

自分の機体を所有し、競技会へ出場する。夢のような生活を実現されています。









私と同い年にもかかわらず、これほどの技術と経験をもったパイロットがいる・・・。彼と知り合えたことは、私にとって大きな刺激になりました。














(高木さん提供写真)
ブリーフィング風景。非常に簡素です。





競技飛行へ向かうTakanoさん。





フライトの合間に時間を見つけては、他の人のフライトを観察します。

どう飛んだらどう見えるのか。曲技飛行に最も重要なことです。



飛行後。

この瞬間、笑顔になることはめったにありません。失敗の自覚に苛まれ続けます。








(高木さん提供)

競技飛行前の「踊り」。手を飛行機に見立ててイメージトレーニングを行います。世界共通の風景です。







滑走路の右側に、白いボックスマーキングが見えますでしょうか?

この枠の中で、演技を行います。

ボックスの中で飛んでこそ、曲技飛行の気持よさは格別です。









初めての動力曲技競技会、やはりグライダーのそれとは違う運航形態に、戸惑うことばかりでした。しかし高木さんや日本チームの先輩方からのサポートを受け、なんとか安全に競技を終えることができました。
私の飛行は、非常に後悔の多く残るものとなってしまいました。ボックスの狭さ(速度の速さ)、暴力的な風の強さ、それに空気の薄さをうまくコーディネイトすることができず、冷静さを欠いた飛行を行なってしまいました。その結果、80パーセントを超えた種目が自由演技(Free)のみという非常に残念なスコアを記録することとなりました。それでも即興演技(Unknown)で2位につけたのは、ある種の地方大会マジック。メダルを持って帰れてラッキー、くらいに思っています。































食事会、表彰式も終わり、帰路につきます。
アップルバレー空港・・・本当に、砂漠のど真ん中でした。
































osuaviatorさんと編隊飛行
































給油地点であるデラノ空港を目指す。

































雲が増えてきました。

















完全に覆われてしまいました。









































雲の切れ間を見つけて降下。
デラノ空港にて給油。
































デラノからリバモアまでの1時間半は、快適そのもの。
アクロ機でのクロカンは拷問だと言われますが、私は嫌いではありません。
怖いですが。

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これで、ひとまず動力曲技への導入訓練は終了しました。
次回は、エクストラに乗り換えてアドバンスド〜アンリミテッド科目の練習を行い、再びIAC競技会への出場を目指します。エクストラを運用する技術/知識や、アドバンスドorアンリミテッド競技を安全に飛べる技量が身についたと判断できた時点で、ヨーロッパでのトレーニングキャンプへの受け入れ先を探し、世界選手権への道を探ります。
乗り越えるべきハードルはたくさんありますが、なんとか実現したいものです。


もっと写真見たい方は・・・
https://picasaweb.google.com/flickloop/LosAngelesGoldCupDuelInDesert#