2009年4月8日水曜日

2009年度世界選手権(チェコ)

この年の訓練は、紆余曲折ありました。こちらの競技機は例年春に耐空検査を行い、競技会へ向けた訓練に備えています。しかしこの年は、検査のやり方が変わったことに加え、航空局内部でもそれを把握しておらず、検査の実施が大幅にずれこんでいたのです。検査が順調に終わることを見越して渡航した私は、2週間ほどおあずけを食らった状態となりました。



それでも私は別の機体で飛んだりしてましたが・・・



これはSZD-59 acroで遊んだときの写真。飛びにくい機体でした。競技者の共通見解として、この機体はunlimitedの飛行には適しません。




無事検査も終わり、さあ飛べるかとおもいきや、今度は延々と雨の日が続きます。
毎日、格納庫内の事務所に借りた机を前にして、論文を書く(これが私の本職です)日々でした。






雨も上がり、無事飛行は再開されました。

100回くらいは飛べたのではないかと思います。










無事ポーランド選手権も終わり、世界大会の開催地であるホシン(チェコ共和国)へ車で移動。

今回は、トレーラーで競技機を輸送しました。

日本からはKさんが応援に駆けつけてくれました。

















例のごとく、競技機が並びます。











離陸して見えたのは、教会を中心として集まる赤い屋根の小さな村、なだらかな丘陵地帯と森、湖、、ヨーロッパを飛んでいることを実感する瞬間です。

これはイメージ写真。Kさんが近所の城から撮ってくれたものです。











マクラ氏のアドバイスを受け、競技飛行に備える。










離陸前の集中の時間。

スターシェが日傘を持ってくれています。

競技者同士、お互いがベストを尽くせるように助け合います。







表彰式。

真ん中は、優勝者のカミンスキ氏(ロシア)。左が2位のエリック(フランス。テールスライド一つのミスで優勝を逃しました)。右がヤン(チェコ。パワーのWAC常連でもあります)。

私もはやく表彰台に立てるようになりたいものです。









最後はKさん撮影の、チェスケ・クロムルフの街並み。チェコは本当に美しい国でした。


競技飛行で各国を回っていると、観光旅行では触れることのできない生の文化に直接触れることができます。これもまた、隠れた楽しみの一つかもしれません。




2008年7月8日火曜日

2008年度ヨーロッパ選手権(ポーランド)




初めての国際大会。
この年のヨーロッパ滑空機曲技選手権は、ポーランドのラドムにて開催されました。



美しい旧市街の大通りで、開会式が行われました。

各国の旗を掲げた軍人と一緒に、町を練り歩き、盛大な歓迎を受けました。










離陸を待つ競技機たち。














これが、この年の unlimited known sequence。

参加者全員が必ず飛ばなければいけない規定演技です。

三角印はスピンやスナップロール、点線はマイナスGのかかる場所、矢印はロールを意味します。






















「どうだった?」「うーん、あそこのロールは・・・」

競技飛行を終えて着陸したマクラ氏に駆け寄り、意見を伝える息子たち。

右はスタシェック(若く見えるけど実はベテラン競技者。LOT系列会社のラインパイロット)、左はヤネック(まだ若い、未来の競技者)。










トップパイロット達と同じ土俵で競い、国籍も文化も違う友人たちと別け隔てなく議論する。

そして、具体的かつ実現可能な目標として、世界の頂点を目指す。

競技会の楽しさは、ここにあります。






競技会場からの帰り道、マクラ氏は我々の機体の横にならび、華麗なロールを見せます。

この広大なポーランドの空全てが、彼の遊び場なのです。

2008年4月8日火曜日

ポーランドでマクラ氏に師事したときのこと





2008年の春、初めてポーランドを訪れました。

初めてのヨーロッパ、しかも旧共産圏。見るもの全てが新鮮でした。











伝説的なグライダー曲技パイロット、イージー・マクラ氏(写真右)への弟子入り。私たちにとって、二年越しの計画でした。


マクラ氏と我々日本人パイロットのつながりは、昔からとても強いのです。








私は、富士川飛行場へ通い始めた大学3年生の秋、日本アクロ界の草分けの一人である大先輩、Kさんと出会いました。元来アクロがやりたくて飛行場通いを始めたという来歴がありますので、私はその後Kさんの影響を強く受けつづけることとなりました。

Kさんは10年以上前から、マクラ氏を初めポーランドの人々との強いつながりを持ち続けてきました。私はそのつながりをそのまま継承させていただく形で、ポーランドへと受け入れられたのです。









日本では見たこともない航空機たち。





























訓練は、複座FOXで行われました。

マクラ氏の教育は的確で、技量はどんどん伸びていきます。













訓練開始から一週間ほどたったころでしょうか、今でもはっきりと憶えていることがあります。垂直降下から操縦桿を押して背面にすること、つまり「ネガティブプッシュ」を覚えた時のことです。それまでは、ポジティブG方向でしか機体をコントロールできないという不愉快さ、限界感を、強く感じていました。これを克服できたらどんなに素晴らしい世界が広がるのだろうかと。

この時私は、その制約を機体構造と自身の能力の両面から克服しました。頭上に向かって流れていく滑走路。心地良いネガティブG。一瞬にして目の前のモヤが晴れ、新しい世界が開けました。とてつもない快感でした。そのまま背面で水平飛行し、もう一度押して垂直上昇・・・。

着陸後、マクラ氏に向かって、"I got wings..." ・・・やけに冷静に言い放ちました。今考えたら恥ずかしい。しかし、当時は真剣でした。

"Now, this glider is yours."

これがアンリミテッドの、同時にFOXの免許皆伝でもありました。

マクラ氏は、彼の所有する貴重な競技機「Solo-Fox」への搭乗を、私に勧めました。
この機体は、今でも私にとって最高のパートナーです。

2003年4月13日日曜日

曲技飛行競技とは何であって何でないか

曲技飛行競技とは何か。

空のフィギュアスケートとも呼ばれる曲技飛行競技は、直径1キロの空域内で連続した科目を・・・

やめておこう。ルールを解説することによって曲技競技を基礎づける試みは、他所に譲ることとする。こういった情報は比較的アクセスしやすいものであるし、私よりも圧倒的に含蓄の深い先輩方がより優れた情報を提供してくれている(例えば、http://www.aerobaticteam.jp/menu.html)。ここでは、私がこれまで競技活動に関わる過程で見つめてきた「競技飛行とは何であって、何でないか」という問いに対し、非常に主観的な視点からの考察を行うことにする。

競技とは、飛行家が総体として行う飛行技術の追求であると私は考える。もちろん競技には、いわゆる競争として勝ち負けを決めるという側面もあるし、国別の優劣をかけて戦うという側面もある。実際、そういった側面に熱意を注ぐ向きもある。しかし私にとって、順位の優劣それ自体は何ら意味を持たないし、ましてや自分の所属する集団に優劣を還元しようなどとは露程も考えたこともない。その理由は、私の競技飛行への取り組みが、端的に飛行技術の向上を目指したものであることに他ならない。

飛行技術、これほど恣意的な概念もないだろう。どのような飛行が正しく、上手いのかを決めるのは、ほかでもない我々である。飛行機の構造的制約に基づく「飛行の本来」の存在を意識する瞬間は確かにある。しかしその本来は、あくまでその飛行機が「そのような形」で目の前に与えられているからこそ存在する流動的な状況であり、ある種の恣意性の帰結として時代依存的に成立する「本質」である。

なぜループは真円でなければならないのか、なぜロールレートは一定でなければならないのか、あるいはなぜスナップロールはロールレートの顕著な増加をもってしなければそれと認められないのか。その理由は「我々が定めたから」に他ならない。基準とは、常に我々が創りだすものである。我々は、我々の創りだした基準の中で競い、優劣を決め、上位者を技術的規範とする。そして、その規範は自己に対する再考を促し、飛行技術そのものが時代を通じて流動する。技術の生成は、技術の根拠であった飛行機そのものの構造への再考をも促す。競技用の飛行機とは、飛行家によって生み出された規範によって二次的、三次的に輩出された最終産物であり、同時に未来の規範を生み出す原始でもある。我々はその流動の中に身を置き、技術の追求をもってして技術の創造をも同時に行い続ける。

規範のないところに優劣は存在しない。目の前の地平線が一回転すればループ、そのような状況にある限り、飛行技術とはその飛行家自身の社会的な立ち位置や武勇伝の自己語りをもってしてしか成立しない。我々は、社会的、対人的に成立した「技術」を軽視する。なぜならば我々は飛行家であるからにして、技術は飛行そのものをもってして語られなければならないからだ。飛行の中にこそ技術を生み出す余地が存在するのであり、それは決して偶発的な対人的階級の付随として生み出されてはならない。

マクラ氏は言う。
Competition is best aerobatic school. Most important.
競技会とは、単なる競争の場ではない。そこで教えあい、高め合う、まさに規律訓練の場としての「学校」。競技飛行の中でこそ、我々は曲技飛行技術を追求することができる。技術の追求、ただこの一点において私の志向性は、娯楽としての曲技やエアショーとは完全に相反するものであり、さらには飛行技術を自己及び集団の優劣へと帰結させる「勝負事としてのスポーツ」とも強く決別するものである。

2001年12月20日木曜日

競技経歴

■競技経歴(太字は世界大会)

2008年7月 Polish Glider Aerobatic Championship (開催地:ポーランド・ラドム) (アンリミテッド) 7位
2008年8月 9th FAI European Glider Aerobatic Championship (開催地:ポーランド:ラドム) アンリミテッド) 33位
2009年6月 Polish Glider Aerobatic Championship  (開催地:ポーランド:リブニック) (アンリミテッド) 5位
2009年7月 13th FAI World Glider Aerobatic Championship  (開催地:チェコ・ホシン) (アンリミテッド) 24位
2010年6月 Polish Glider Aerobatic Championship  (開催地:ポーランド・ウォソシナ) (アンリミテッド) 7位
2010年7月 10th FAI European Glider Aerobatic Championship   (開催地:フィンランド・ヤミヤービ) (アンリミテッド)   23位
2011年5月 Los Angeles Gold Cup (動力機IAC地方大会) (開催地:アップルバレー・アメリカ合衆国) (インターミディエイト) 4位  
2011年7月 Polish Glider Aerobatic Championship   (開催地:ポーランド・トルン) (アンリミテッド)  6位
2011年7月 14th FAI World Glider Aerobatic Championship   (開催地:ポーランド・トルン) (アンリミテッド)  9位
2012年5月 The Duxford Trophy(動力機BAeA地方競技会)(開催地:Sleap・イギリス)(アドバンスド)5位 
2012年7月 Polish Glider Aerobatic Championship   (開催地:ポーランド・イェレニャグラ) (アンリミテッド)  3位 
2012年8月 15th FAI World Glider Aerobatic Championship   (開催地:スロバキア・ドブニツァ) (アンリミテッド)  10位 
2013年4月 The John McLean Trophy(動力機BAeA地方競技会)(開催地:Breighton・イギリス)(アドバンスド)3位
2013年4月 The Nathaniel Alony Trophy 2013(動力機BAeA地方競技会)(開催地:Elvington・イギリス)(アンリミテッド)2位
2013年7月 The British National Unlimited Championships, (動力機BAeA国内選手権)(開催地:Sywell・イギリス)(アンリミテッド)4位


■エアショーフライト

2012年3月3日、熊谷妻沼グライダーフェスタ、妻沼滑空場、埼玉県熊谷市
2013年3月2日、熊谷妻沼グライダーフェスタ、妻沼滑空場、埼玉県熊谷市
2013年7月21日、北海道スカイスポーツフェアイン滝川、たきかわスカイパーク、北海道滝川市
2013年11月23日、空まつり2013 in SEKIYADO NODA、関宿滑空場、千葉県野田市


■審判実績

2010年10月 全日本曲技飛行競技会 (審判補佐及び審判。プライマリー、スポーツマン)
2011年10月 全日本曲技飛行競技会 (審判。プライマリー、スポーツマン)
2012年10月 全日本曲技飛行競技会 (審判。プライマリー、スポーツマン、インターミディエイト)
2013年9月  全日本曲技飛行競技会 (審判。プライマリー、スポーツマン、インターミディエイト、アドバンスド)


■著作
2014年 「曲技飛行、自由の空」、北海道スカイスポーツ協会広報誌「あえる」 vol.55 
http://www11.ocn.ne.jp/~hospa/image/pdf/aeru.pdf